はるかなる西部 「喫茶 カウボーイ」 [84] の続きです。コーヒー用の湯を沸かしながらカウンターテーブルの上を雑巾で拭いているのですが、その雑巾をやかんの上で絞ります。「ええっ! 何するん?」もちろん雑巾から絞り出た汚水はやかんの中へ入っていきました。コーヒーは布フィルターを使用するネルドリップ式で淹れるのですが、湯を入れ過ぎてフィルターからコーヒー粉・湯がこぼれますがおかまいなしで湯を注ぎ続けます。たぶん独学でコーヒーを淹れておられるのだと思いますが、カウボーイ・スタイルなので細かいことはどうでも良い精神なのでしょう。抽出したコーヒーをこれまた一度も洗ったことがないような真っ黒けの塗装が剥げた、もともとは白色だったホーロー製のマグカップに注いでくれます。来店した時期が冬だったので、マスターは赤色のN3B(通称アラスカンコート)のコピー品を作業着の上から羽織られて、フードを頭からすっぽり被ってこれらの作業を続けられました。途中にゴムサンダル(昔のトイレによくあった)をコーヒーの湯を沸かしたストーブで炙っているので、「何をされているのですか?」を聞くと「足が寒いのでサンダルを温めている」との返事が返ってきました。初めてお連れした友人は目が点になり、口をぽかーんと開けたままでした。
続きへ
※ブログ読者様限定で動画を公開しています↓
46か47年前に毎日通っていました。
マスターのベッドはセンターテーブルの上につるし上げられた
木の板の中に有るのですが、見上げると板と天井の間に布団が見えていました。コーヒーはブラックが120円で、ミルクと砂糖入れると400円に跳ね上がります、カーボーイですからね??
食事はガス焼きトーストとフラップジャックがありました,ガス焼きトーストはそのまんまの名前で食パンを火箸で持ってガスであぶって
缶々マーガリンを塗り手渡しでもらいます。皿はありません。
フラップジャックはメリケン粉と乾燥グリーンピースとコンビーフを
練ってフライパンで焼いてくれます。確かソースとケチャップが有った気がします。これは結構おいしくて10年に一度くらい自分で作って
食べています、今もね。ギターとアコーディオンの演奏&歌はぼく達の頃はただでした。マスターの気が乗ると30分くらいはやってましたよ
その間注文はおあずけです。そのころマスターの制服は作業服ではなくて紺色の詰襟でした。マスターはエビオスとコーヒーとトーストと
キャベツが主食でそれ以外を食べるのを見たことがありません。
大学を卒業し、地方に配属され、15年後くらいに行ってみると、
店は閉まっていました。あのころカンピーを持ち歩いて、カーボーイの
ブラックコーヒーを身震いしながら啜っていた、髪の長い女の子は
カルメンマキみたいでカッコよかったな
tomoji様
カウボーイ初期の貴重なコメントありがとうございました。
詰襟を着てる頃の写真をカウボーイの資料集( お店が取材された新聞や雑誌の記事の切り抜きをマスター自らファイリングしてました)で
見たことがありますが、紺色の制服だったのですね。
ブラックコーヒーが120円でしたか!
ミルクと砂糖入れると400円に跳ね上がるのですね(笑)
さすがカウボーイですね(爆笑)
1975年頃は喫茶店のコーヒーが200円ぐらいの時代ですものね。
こちらこそ動画と情報ありがとうございます
こんな映像が今見れるなんて、懐かしくて、嬉しかったです。
思いだしましたが、当時ホウロウのマグカップの不潔さに、
僕たちの仲間はマイカップをキープしていました。
それらも後日は店の備品となったでしょうね
それと一回冷えたコーヒーの温めなおしは、えぐい味だったので
ドリップ直後に注文する事にしてました。
と言うことは、温め直しは、常連でない人たちに行ってたんでしょうね
悪しからず・・・
tomoji様
マイカップをキープされてたんですね(笑)
カウボーイの記事を見つけてもらって嬉しいです。
カウボーイは、1970年にオープンして1990年までの
20年間営業されたみたいです。
昭和の時代だから、支持されたんでしょうね。
もうあのような店は現れないでしょうね。
保健所が許可しないでしょうから…
今と違ってなんでもありの良き時代でした。