サポート・ベーシストになる [120] の続きです。 大学受験勉強もせずにバンド活動に明け暮れていましたから、美術大学の受験に失敗して浪人することになりました。 普通だったら受験勉強に励むでしょうが、相変わらず音楽に没頭しまくっておりました。 自分のバンドはなくて、サポートミュージシャンとして活動していました。 関西学院大学軽音楽部のギタリスト、浪人生のドラマー、屋台のたこ焼き屋のヴォーカルと私(ベース)の4人からなるバンドでジミ・ヘンドリックスの曲などを演奏していました。 そのバンドはビジュアル系ハードロックバンドでした。 ステージの時は、メンバーみんな化粧をしてましたので、私もメンバーによって化粧されて、上半身裸にされてピンクの透け透けのレースカーテンで製作されたポンチョみたいな衣装を着せられて、関西学院大学のホールで開催されたコンサートで演奏しました。 そのバンドとは別に神戸大学の軽音楽部のドラマーとサックス、路上の針金曲げ屋のギタリスト、アメリカへ行ってしまった経歴の知らないギタリストと私の5人からなるブルースバンドでもベースを弾いていました。 神戸大学軽音楽部のスタジオで数回セッションはしましたが、ステージに立つことはなくギタリストの二人がそれぞれ金沢とアメリカへ行ってしまったためにあえなく解散。 しかしこの頃が、今思えば一番自由に音楽活動を楽しめた時代だと思います。 そして私もアメリカへ留学することになるのですが…
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